11:法隆寺iセンター

法隆寺iセンター

生駒郡斑鳩町法隆寺1-8-25

Googleマップを開く

法隆寺iセンターは、歴史街道情報や奈良県下の観光情報を提供するほか、法隆寺をはじめとする斑鳩の里をご案内します。各種の情報を提供するとともにゆたかな歴史、文化にふれあい、交流できる拠点として、また休憩等の利便性を提供する施設としてつくられています。 建物は、斑鳩の里の民家をイメージさせる瓦葺き二階建てで、屋根の勾配にむくりと呼ばれるふくらみをもたせています。二階部分のむしこ窓も印象的です。

周辺の見どころ

日切地蔵(継子地蔵)
日切地蔵は、弘法太子の作で継子地蔵とも言われています。 むかし継子が母親にいじめられていました。『お前、あの五百井の地藏さんに飯を食べさせたらお前にも食べさせてやる』と、言われたので継子は一心不乱になって、『どうかお地蔵さまご飯を食べてください』と哀願するとお地蔵さんが口を開いてご飯をおたべになった。これを知った継母も悟り、以後は継子を実の子と同様にかわいがったそうです。

業平道
平安時代の歌人であり、「伊勢物語」の主人公で美男で知られている在原業平が現在の櫟本(天理市)から高安(八尾市)の河内姫のもとへ通ったと伝えられている道です。

仏塚古墳
仏塚古墳は、法隆寺背後の通称「寺山」と呼ばれている丘陵よりさらに北にのびた小丘陵の先端部に立地します。
昭和51年の発掘調査の結果、墳丘規模等については一辺約23mの方墳であると考えられています。埋葬施設は南方向に開口する両袖式横穴式石室で、羨道部が一部未発掘であるが、確認できた石室長で9.36mを測ります。玄室床には礫が敷かれ、その下部には玄室を環状に巡って玄門部で合流して羨道部へ流れる排水溝が敷設されていました。
出土遺物のうち古墳造営当初のものとしては、亀甲形陶棺片や6世紀末頃の須恵器のほか、馬具や耳環や刀子があります。また鎌倉時代後期~室町時代にかけての金銅仏や塑像仏片や花瓶や六器にどの仏具、瓦器碗や土師皿などの土器類など仏教関連する遺物が多量に出土しており、中世に石室が仏堂として利用されていたことを示しており、近くにはその成立が鎌倉時代と考えられている極楽寺があり、それとの関係が指摘されています。
なお、法隆寺の北方にひろがる小丘陵には、6世紀から7世紀にかけての古墳が点在しています。7世紀と言えばまさに聖徳太子が斑鳩へ進出し、その後約半世紀にわたり上宮王家による活躍があったことから、斑鳩宮との造営時期が近接する上、斑鳩宮を臨む立地であることなどの点から、仏塚古墳の被葬者と上宮王家との関連を指摘する意見もあります。

龍田の町並み
国道25号線の竜田大橋から猫坂まで通りそこから左上に伸びている道にそれて斑鳩町役場付近まで龍田の街並みがあります。
建物は切り妻作りで中二階建ての家が多く見られます。

法隆寺献灯一対
法隆寺の参道は、今は国道に切られ短くなりましたが、元は並松の地蔵堂のところが入口でした。
1952年(昭和27年)国道25号が通り、交通量が増え、やむを得ず参道が100mほど後退しました。
「法隆寺献灯一対」は、法隆寺の参道を、国道を隔てた南側にあります。

西里の町並み
法隆寺の西隣りにあり、もともとは法隆寺を支えた大工集団の本拠地であった。今も、歴史を黙々と伝える土壁や鳩倉等が残る旧村60軒ほどの家が、およそ300m四方の範囲に、落ちついたたたずまいを見せている。