35:纏向遺跡

纏向遺跡

桜井市三輪686

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桜井市域の北部、JR巻向駅周辺にひろがる纒向遺跡は、初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国やまたいこく東の候補地として全国的にも著名な遺跡です。
この遺跡は広大な面積を有する事や、他地域からの搬入土器の出土比率が全体の15%前後を占め、かつその範囲が九州から関東にいたる広範囲な地域からである事、箸墓古墳はしはかこふんを代表として、纒向石塚古墳まきむくいしづかこふん・矢塚古墳やづかこふん・勝山古墳かつやまこふん・東田大塚古墳ひがいだおおつかこふん・ホケノ山古墳・南飛塚古墳みなみとびづかこふん、前方後方墳であるメクリ1号墳などの発生期古墳が日本で最初に築かれている事、農耕具が殆ど出土せず、土木工事用の工具が圧倒的に多い事等、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目されています。遺跡の発掘調査は1971年以降、桜井市教育委員会と県立橿原考古学研究所によって現在までに180次を超える調査が継続的に行われ、2013年には一部が国史跡に指定されたものの、調査面積は南北約1.5km、東西約2kmにもおよぶ広大な面積の2%にも足りず、未だ不明な部分も多く残されています。